「経験の再利用性」を高めるための経験学習
はじめに
突然ですが、みなさん以下のような経験をしたことはないでしょうか。
- 仕事で同じような失敗を繰り返してしまった。
- 一度仕事で経験したことがあるにも関わらず、その知見を同様の問題に対して活かせなかった。
多くの方が経験されることかと思います。単に本を読んで得た知識ならまだしも、現場での実体験を伴ったにもかかわらず、その経験を次につなげられないことは多々あります。
ではどうすれば、私たちは仕事や普段の生活で経験したことを将来に活かすことができるのでしょうか。
この記事では筆者が個人的に好きな経験学習(Experiential learning)という概念をもとに「経験の再利用性」を高めるためのマインドセットと事例について説明します。
学びの構造
人はいかにして経験から学び、成長するのでしょうか。
そのメカニズムを説明する概念が経験学習(Experiential learning)です。
経験学習
経験学習とは、個人が体験したことを振り返り、教訓を生み出すことで学びを得るという考え方のことです。また、経験学習の過程をモデル化したものが以下の経験学習モデルであり、教育理論家のDavid Kolb氏によって提唱されました。
人は実際の経験を通し、それを省察することでより深く学べるという考え方を、人材育成の領域では「経験学習」と呼びます。組織行動学者のデービッド・コルブはこうした学びを、体系化・汎用化された知識を受動的に習い覚える知識付与型の学習やトレーニングと区別し、「経験→省察→概念化→実践」という4段階の学習サイクルから成る「経験学習モデル」理論として提唱しています。
出所:日本の人事部 - 「経験学習」とは?
人と組織の学びをデザインする - 「経験から学ぶ」という学び方を参考に筆者作成
各プロセスの意味は以下の通りです。
- 具体的経験:自ら主体的に関わって得た経験(仕事でも趣味でも何でもよい)
- 省察的観察:具体的経験を俯瞰的に客観視し、そのときの事象や行動、感情などを振り返る
- 抽象的概念化:省察的観察により認識した事柄を抽象化し、意味づけして教訓を作り出す
- 実践的行動:抽象的概念化により作り出した教訓を実践で能動的に用いる
例えば、会社員Aさんは顧客へのプレゼンで「全然わかっていない」と怒られてしまったとしましょう(具体的経験)。振り返ると、自分のプレゼンでは製品の特長や工数削減による効果に重きを置いて説明したことを思い出します。プレゼンスキルについては他者からも定評があるため、話の進め方や表現ではなく内容に問題があったと判断します。よく考えると、顧客のBさんは製品導入による既存システムとの連携可能性についてよく言及されていたことを思い出しました(省察的観察)。
今回の事象は、「相手の期待と異なるプレゼンは顧客を落胆させ怒りをも買いうる」と抽象化することができます。この内容をもとに「顧客の期待を洗い出し、その期待に応えられるようなプレゼンに仕上げるべきだ」という教訓を作り出しました(抽象的概念化)。後日Aさんは、Bさんやその上司の期待にあった内容で整理したプレゼン資料を準備し、改めてプレゼンを行いました(実践的行動)。
抽象的概念化については、抽象化と概念化という似て非なる概念が登場するため以下で詳細に説明します。
抽象化
抽象化は、簡単にいうと本質を見抜くことです。
抽象化は、複雑な事象の構造を明らかにする「構造化」と、複雑な事象から本質的な部分を取り出すとともに本質的でない部分を捨象(考察の対象から切り捨てる)する「単純化」によって構成されます。(なお、この解釈についてはアナロジー思考のpp.1235-48(Kindle)を参考にしています)
ITエンジニアの方ならわかると思いますが、オブジェクト指向プログラミングでクラスを作ることも、データモデルを作ることも抽象化に他なりません。現実世界の具体的なもの・ことに対して、システム上で実現したい目的に照らし合わせて本質的な情報を属性として選択することはまさに抽象化です。
概念化
概念化は、省察して抽象化した内容をもとに、他の状況でも応用可能な教訓やルールを生み出すことです*1。
抽象化して抜き出した本質に対して何らかの意味を付することで他にも転用することができるようにします。ベストセラーのメモの魔力では、路上でのギター演奏の"抽象化"の例として「人は「うまい歌」ではなく、「絆」にお金を払う。(p.56)」という表現がありますが、これは経験学習でいう抽象的概念化に相当します。
同書で言及されている「ファクト→抽象化→転用」は経験学習の4つのプロセスと非常に近いですね。
筆者の体験談
個人レベルでは、仕事で何か衝撃的(失敗、指摘など)なことがあった際に経験学習の観点でメモ書きしています。
経験学習を何かほかにも転用できないかと考え、アジャイル開発で経験学習を取り入れた例を少し紹介します。
スプリントの振り返り(レトロスペクティブ)における経験学習の利用
従来の「振り返り」
アジャイル開発では一定の開発期間(スプリント, イテレーション)を設け、それを繰り返しながらソフトウェアの開発を行います。各スプリントの最後には、メンバー同士で当該スプリントの振り返りを行う「レトロスペクティブ」という取り組みがあります。
振り返りの際にKPT(Keep, Problem, Try)を使うのが一般的なのですが、振り返りが表層的になってしまうことを個人的に懸念していました。つまり、ProblemとTryというグループ分けになっているために、目先で生じた問題をあげて、それを解決する短絡的な対策(Try)しか出ないのではないかという懸念です。
経験学習をベースにしたレトロスペクティブ
そこで、具体的な事象を掘り下げ、次につながる教訓を生み出す経験学習を振り返りの基礎としました。
具体的には、GitHub Project(いわゆるカンバン形式のタスクボード)で経験・省察・概念化・アクションの4つのレーンを作成し、そのカンバン上でメンバーで振り返りを行いました。
まず、そのスプリントで生じた事象や経験を「経験」のレーンに書き出していきます。まず、5分ほど時間をとって各自PCで入力してもらいます。その後、5~10分ほどとって全員で各自記入した内容を確認しながら議論します。
同様に、省察、概念化、アクションについてももくもくタイムと全員で議論する時間をとり、各レーンの内容を埋めていきます。若干工数はかかりますが、省察と概念化のための時間を明確に確保することで、短絡的な対処ではなく、根本原因に対して効果のある施策や新たな運用ルールを生み出すことができました。
今後の課題 -組織的経験学習-
今私が作った言葉です。
個人単位の経験学習を超えて、組織的に経験を活用できればよいと考えてはいますが、ここについて論じるにはあと何日要するかもわからないので今後の課題としておきます。
ナレッジマネジメントの文脈でSECIモデルがしばしばとりあげられるので、SECIモデル×経験学習という概念の組み合わせでおもしろいことができるといいですね。
おわりに
この記事を読んで、「経験の再利用性」を高めるためのヒントを少しでも得られたのであれば幸いです。
記事で言及できませんでしたが、アナロジー(類推)も経験の再利用性を高める有用な考え方の一つです。
これについてはアイデア発想法の記事で少し言及しているので見てみてください。 wannko5296.hatenablog.com